旧伊藤伝右衛門邸を散策。【福岡県飯塚市】

散策
旧伊藤伝右衛門邸。

こんにちは。税理士の城戸です。

福岡県春日市でひとり税理士をしています。

このブログは、ひとり税理士である私の日常や思っていること、経験したことなどを書いている雑記ブログです。

伊藤伝右衛門と柳原白蓮。

4月は、飯塚市(福岡県)の『旧伊藤伝右衛門邸』へ。

筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門と歌人柳原白蓮(びゃくれん)が過ごした邸宅です。

NHKの朝ドラ『花子とアン』(嘉納伝助と葉山蓮子)のモデルとしても、有名ですね。

旧伊藤伝右衛門邸前は、旧長崎街道。なかなか趣があります。

伊藤伝右衛門とは?

1860年(万延元年)11月、穂波郡幸袋村(現在の飯塚市)生まれ。

幕末動乱期であり、桜田門外の変(大老・井伊直弼が江戸城外桜田門の目の前で暗殺された事件)が起きた年でもあります。

若い頃は、とても貧しかったようですね。

魚の行商、石炭の露天掘り、遠賀川の川船船頭、呉服屋の丁稚奉公などを経験し、西南戦争では、官軍の軍夫として働いていたことも、、、。

この時代、やっぱり、苦労のレベルが違います。

やがて、父伝六と手掛けた炭鉱事業が時流に乗り、「筑豊の炭鉱王」と呼ばれるまでになった、、、ということです。

そもそも、父伝六さんは、幕末の頃から石炭の将来性に着目していたとか。

父伝六さんの「目の付け所」も、すごいです。

ところで、高倉健さんのお父さんは、伊藤伝右衛門さんが経営する中鶴・宝珠山炭坑で働いていたようですね。

びっくりです。

柳原白蓮とは?

1885年(明治18年)10月、東京生まれ。

公家華族である柳原伯爵家に生まれ、大正天皇の従妹にもあたります。

本名は「燁子(あきこ)」。

大正から昭和にかけての歌人で、「大正三美人のひとり」「筑紫の女王」とも。

当時の柳原家は資金難で、伊藤伝右衛門との結婚は政略結婚だったようです。

白蓮事件(雑誌「解放」の記者・宮崎龍介と駆け落ちした事件)が有名ですが、それ以外でも、人生は波瀾万丈。

でも、晩年は、穏やかで幸せだったようですね。

「お前の身分と顔以外に、どこを愛せちゅうとか」

NHKの朝ドラ『花子とアン』の嘉納伝助(伊藤伝右衛門)が葉山蓮子(柳原白蓮)に放ったセリフらしいです。

怒っているんでしょうけど、、、何かニヤッとしてしまいそうです。(また、怒られますね)

『旧伊藤伝右衛門邸』を散策。

「応接間」がお出迎え。
「本座敷・次之間」です。1番、「おーーー!」となったところ。ここで、暮らしたい。
朝起きて、この景色。これを幸せと呼ばずして、何を、、、。
庭側から見た「本座敷・次之間」です。
裸一貫で巨万の富を築いた伊藤伝右衛門さん。この庭を見て、何を思う。
白蓮さんのお部屋。色々知ると、、、寂しくも見えます。
白蓮さんの部屋からの眺め。この庭を見て何を思う、、、。
どこもかしこも、素敵です。
ここもまた、、、。
これは、ミニチュア。かわいい。
ミニチュア祭り。
お庭から見た、旧伊藤伝右衛門邸。ここで、毎日散歩したい。
光源氏にも遭遇!
メガネケースを記念に。

おわりに。

初めての『旧伊藤伝右衛門邸』の散策。

滞在時間、1時間30分くらいです。

YouTubeやブログなどで見るのも楽しいですが、実際行くと、楽しさ100倍です。

さらに、事前に色々(その人の人生や歴史などを)調べていくと、楽しさ1,000倍です。

道中の遠賀川の菜の花も、いいですね。

参考サイト